人生で一番大事なのは思い切り→諦めである。

会社員からドロップアウトした物書きが、好きなときに・好きなことを・好きなように書き溜めていくブログです。

たまには真面目な話をしよう

どうもお久しぶりです。これだけ留守にしてればずっと閲覧数0だろうなあと思ってたのですが、ありがたいことに複数人の方にお越しいただいていたようで恐縮です。

 

いや、ただ単にサボってたわけじゃないんですよ。ちょっと前に「ここに来てる人って、どんなキーワードで検索してきてるんだろう」と思って、アクセス解析を見たら案外(失礼)真面目な単語=理由で来てる方が多くて。

その中にあった「諦めって大事ですか」というフレーズに対して、私なりにちゃんと考えて、お返事するような記事を書こうと思っていたのです。その方が今も見ている可能性は微粒子レベルですら存在しないですけどね! 泣いてないよ!!

多分「このタイトルからして、さぞかし真面目な人生訓が書かれているのだろう」と期待していらしたのだと思うのですが、ご覧の有様です申し訳ない。

べ、別に書くのを忘れてたわけじゃないんですよ? あまりにも暗い話だからいきなり書くのもどうよと思ってただけで(明後日の方向を見ながら)

 

とはいえ、私の言いたいことは概ねこちらの曲に集約されています。ででん。

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「誰も替われない」とか「皆同じでしょう」ということはいろいろな人が歌ってきたし、書いてきたし、撮ってきたことだと思うのですが、「報われない気持ちを整理して」というのはほとんどなかったんじゃないでしょうか。

 

 

そうなんですよ。

人間生きていれば、「どうあがいたって手に入らないもの」の一つや二つ出てくるんですよ。

それはお金だったり、名声だったり、友人だったり、愛情だったりするでしょう。誰しも得たくて仕方がないものですよね。

でも、その全てを手に入れることはまず不可能なんですよ。どういう神様の思し召しなのかは知りませんが。

こういう仕事をしているのでまた歴史を引き合いに出しますけども、多分人類史上自分の望むものを全て手に入れて、幸せに死ねた人なんてパーセンテージで表すのが不可能なほどの人数なんじゃないでしょうか。

英雄と呼ばれる人だって非業の死を遂げているケースが多いですし、もっと酷い例で言えば、旧約聖書のエレミヤのように一生不遇なまま亡くなった人だって少なくありません。

 

これが一般人だったら尚更ですよね。

最近女性誌で「○○なのが(じゃないのが)不安です」というお悩み相談もよく見ますけれど、それって裏を返せば「私は○○を手に入れて当然なのに、そうなっていないのはおかしい!」「私は○○な状態になるはずがないのに(ry」ってことなんじゃないでしょうか。

しかし、○○以外で手に入れたものが全くない人というのもそういないと思うんですよね。仕事に邁進しすぎて結婚できないという人なら、おそらく仕事上の立場や安定した収入を得られているでしょう。

逆に、専業主婦(夫)になって自分の時間がないという方は、家族とゆっくり過ごせる時間や、子供の成長をつぶさに見届けるという貴重な経験を持つことができるでしょう。

それでも、○○が得られないのが不満だというなら、そのうちどれかを捨てるか減らすか選ぶ覚悟が要ると思います。上述の通り、何もかも手にできる人間はそういないからです。

 

 

そろそろ「そんな偉そうなことを言うお前はどうなんだ?」って言いたくなった方がおられるかと思いますが、私にも諦めているものが二つあります。

「人間同士での愛情・恋愛」と「安定した収入」です。

前者は過去の経験から、後者はまあ仕事上そうならざるを得ないというだけのことですね。だから結婚したくないし子供も産みたくないのです。ついでに言えば長生きもしたくない。

大体こういう話をすると「いつか白馬の王子様が現れるからw」「皆最初はそういうんだよwww」と言ってくる人がいるのですが、そんなモン今日日二次元ですら存在しないことくらい知っています。

口では何とでも言えて、身体的な満足が得られなければ即座に放り出す人間なんてこの世にはいくらでもいるんですから。経験者は語ります。

 

では、その代わりに私が得られたものは何か? これも二つあります。「精神の安定」と「これ以上ないくらいに気の合う猫」です。

くだらないと思いましたか? でも、この二つを得られたことで、私のQOLは格段に上がっています。

会社員と安定した収入を放り出す代わりにうつ病不眠症から解放されましたし、人間ではなく猫と寄り添うほうが余程愛情を感じられます。どちらかというと猫のおかげで病気が緩和されたというほうが正しいかな。

断薬がうまくいかず、誰かに相談するという選択肢が浮かばないほどのどん底だった頃、今までろくに私の話など聞かなかった人の薄っぺらい気遣いよりも、どんな状況でも黙って一緒に寝てくれる猫の存在がどれだけありがたかったことか。

今? ひっでえ顔して寝てたんで起こしました。でも世界一可愛い。

 

これも嫌な思い出というか現在進行中ですが、私、人にまともに話を聞いてもらえたことがほとんどないんですよ。家族やら友人やら学生時代の先生やら、立場も年齢も性別も関係なく。リアルタイムで言葉を出すのが下手すぎるんですね。業務上の報連相はともかく。

「努力しろよ」と言われればそれまでの話ですが、誰と話しても同じなら、いっそ人間と親交を持つことを諦める方が手っ取り早いじゃないですか。それでも付き合いを続けてくれている友人知人の皆様方には本当に感謝しています頭が上がりません愛想を尽かすまで付き合ってくださると嬉しいです。

 

「ならなんで文章を書いてるんだ」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。

多くの方には屁理屈と感じられるでしょうが、これは私の中では矛盾していないのです。なぜなら、文章はリアルタイムのやりとりではないし、どんな感想を読み手が抱いても、私がそれを知る手段はほとんどないからです。各所でつくコメントはありがたく読ませていただいていますがが、好意的なものも批判も自分の今後に生かせば良いだけの話ですし。

 私は私のやり方で、情報なり自分の考え方なりを残すだけです。勝海舟が「行いは己のもの。批判は他人のもの。知ったことではない」と言っていたように。

 

 

そんなわけで、このブログは「人生で一番大事なのは(得られたものを精一杯大事にする)思い切りと(どうあがいても得られないとわかったものを)諦め(る気持ち)である」という考えに至った人間が書いています。

異論反論はいろいろあるでしょうが、この考えはおそらく死ぬまで変わらないと思います。誰に押し付けるつもりもないし、「私が世界で一番正しい!」なんて言うつもりもありません。

 

でも、何かに悩む人・何かに興味を持つ人の何がしかのきっかけになるものを残せたら、それに勝る幸せはありません。もし私などという箸にも棒にもかからない一個人が後世に残せるものがあるとしたら、それは血筋ではなく文章でありたい。

いっそ名前も残らなくて良いのです。読み人知らずの歌にも秀歌がたくさんあるように、文章や作品の価値と個人の存在は関係ありませんから。

そして、今日明日でも何百年先でも、私よりずっと優れた人がよりよい答えを導き出してくれたら良いなと、そう思います。