猫を病院で看取りました
※亡くなった猫の具体的な話がたくさん出てきます
苦手な方は今すぐ閉じてください
画像はないです
2022年10月30日、我が家の猫を看取りました。推定12歳でした。
6月末に脾臓の摘出手術と肺の腫瘍疑い、7月に脾臓腫瘍の病理診断、8月にCT撮影と腫瘍科の先生によるセカンドオピニオン、9月末に腎臓腫瘍の疑いを経ての最期でした。
もっと早く行動していれば、もっと他のことをしていたら、もっとそばにいれば、としておけばよかったことがずらずらと頭の中に出てきて、あの子に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
嫌なもので、10月に入ってから、私は猫が亡くなるときのことや葬儀のことをいろいろ調べはじめていました。
こんなことをしていたら現実になってしまうんじゃないかと思いながらも。
そして亡くなる間際に失禁してしまうことがあると知り、他の猫さんや飼い主さんの体験談なども読んで、
「失禁してから数日はお別れの時間があるはず」
と思い込んでしまったのです。
でもうちの子はそうじゃありませんでした。
10月30日の朝、2か所ほど失禁の後を発見。そのまま足腰が立たなくなり、夕方には自宅の酸素室の中で痙攣と開口呼吸が始まりました。
かかりつけ(以下A病院)のお休みの日だったので、セカンドオピニオンを受けた病院(以下B病院)ならカルテがあるから対応も早いはず、と判断し、電話をしてから急いでB病院へ向かいました。
タクシーがなかなか捕まらず、電車に飛び乗って下りてからも猫が疲れないように走らないで、できるだけ早足で。
B病院に着いたときはまだ心臓と肺は動いていました。
応対してくれた先生(セカンドオピニオン時とは別の方)が
「これこれこういう状態なので、なかなか厳しいです」
「もし蘇生できた場合は、カテーテルで栄養補給もできますがしますか?」
と丁寧に説明してくださりながらも覚悟をうながすような雰囲気で、少しずつ腑に落ちていきました。
できるだけのことをしていただけるようにお願いし、検査しながら入院して様子見という方針が決まって少ししたところで、
「呼吸が止まったのですぐ来てください」
と言われ、急いで処置室へ向かいました。
既に人工呼吸と心臓マッサージと諸々の投薬が行われていました。
それでも諦めたくなくて、奇跡が起きることを期待してしまいました。
心肺停止から20分も蘇生措置をお願いして、あの子を苦しめてしまいました。
もう一度せめてお礼だけでも届いてほしいと思ったばかりに、無理をさせてしまいました。
朝からお昼にかけて飲ませていた流動食が少しずつ、開きっぱなしの口から出てきて、先生や看護師さんたちがいろいろな管やクリップをつけたり付け替えたり、心臓マッサージや人工呼吸をしてくれているのを見ながら、まだ期待していたんです。
一瞬だけ舌が動いて、一度だけ薬とマッサージの効果で心臓と肺が動き出して。
そこでまた期待してしまいました。
先生は処置の合間に、猫の通常の心拍数や、今どうなっているのかを冷静に、でもこちらを気遣った口調で説明してくださいました。
私も
「ここから蘇生しても、脳に後遺症が残るなどでさらに苦しむのではないか?」
と考えはじめていました。
最後にもう一度だけ
「この状態からはもう、難しいんですよね…」
と聞くと、先生は「そうですね…」と言ってくれました。
その後なんと言って蘇生措置をやめていただいたのかは覚えていません。
「ありがとうございました」は言ったと思います。
心臓マッサージが終わり、人工呼吸の管が外されて、吐いてしまって汚れた口元をきれいに拭いていただいて。
開きっぱなしの丸くなった目に、猫自身の毛が入っていて。
まぶたを下ろして口も閉じさせてやりたかったけど、私ではできませんでした。
その後はB病院からの申し出でまぶたを下ろしてもらい、お清めや処置をしていただき、ドライアイスやタオルなどを入れたきれいな段ボール箱で手元へ返してくださいました。
口は完全に閉じさせることができないようで、謝られてしまいましたが、私一人では適切な処置ができなかったと思うので充分でした。
大切な命が最後を迎える理想的な場所は、自宅だと感じている方が多いように思います。
私も以前はそう思っていました。慣れ親しんだ場所で最期の一息をするのが一番だと。
しかし苦しんでいるところを目の前で見たときに、そのまま送ることはどうしてもできませんでした。
奇跡に期待したのもありますが、せめて最後の最期だけでも楽になるような措置をしてもらったほうがいいと思ったのです。
結果としては、私の優柔不断さで前述のようなことになったのですが……。
一瞬だけ心肺の動きが戻ったときに、私の顔か声のどちらかだけでも認識したいのですが、こればかりはわかりませんね。
私、人間には全く好かれないし好きになれないのですが、あの子にだけは愛されていた自信があるんです。
だから諦められませんでした。
最後を迎えさせた場所のB病院はかかりつけではないので、先生や看護師さんたちも気遣ってはくれつつも、あまり感情的な空気はありませんでした。
もちろんそれが悪いということではなくて、緊急時でも冷静に処置をしてくださっているんだなと感じられました。
おかげで涙が出ながらも落ち着けたように思います。
元々保護していたボランティアさんや、通院について融通してくださっていた仕事関係の方に連絡して、A病院にも電話でお知らせして。
皆さんから丁寧なお悔やみと、A病院からは立派なお花をいただきました。立派すぎて置く場所に困るくらいの。
お花は荼毘に付すときにお供してもらおうかとも思いましたが、まだつぼみのものもあるので、しばらく飾ってあの子にも見てもらうことにしました。
初七日くらいまではもってくれるでしょう。
猫にとって植物は猛毒になるものが多いけど、今なら近づいてもじゃれてもかじっても平気だから、楽しんでもらえたらいいな。
A病院とB病院への御礼の品を買いに行く途中でフードコートを通ったら、いろいろな料理のにおいがしてきて。
なんとなくあの子がそばにいるような気がしました。
「今ならきっとたくさん食べられるよ。好きなの全部食べていいんだよ」
って心の中で言いました。
人間の食事はにおいもかがせないようにしていたので、もう気にせず楽しんでいいんだよって言ってあげたくて。
キャリーバッグや外出が大嫌いな子だったので、病院以外の場所へ一緒にお出かけしたことはありませんでした。
火葬の前に読経をしていただきたくて、少し先の日付まで家に安置することになったのですが、その前に少しだけ爪と毛をもらって、カプセルに入れていろいろなところへ連れて行こうと思います。
カツオやマグロが大好きな子だったから、焼津と大間がいいかな。
私の大好きな仙台は気に入ってくれるかな。
画面越しじゃない本物の桜や紅葉も感じ取ってくれるかな。
うちは古いマンションなので、ちょっとしたことで部屋干しの洗濯物などが振動するのですが、これを書いている今は、デスク横に置いたA病院からのお花がちょくちょく揺れています。
ただし向かって右半分だけ。
さっそく遊んでくれているのかな。そうだったらいいな。
つぼみみたいな形の猫じゃらし、大好きでしたから。
今日はハロウィンですね。
元々はケルトのお盆のような行事だそうですが、日本の猫も参加できるでしょうか。
あの子は人(私)のことは大好きだったけど、幽霊や魔物はどうだろうなぁ。
遊び相手になってくれていたらいいな。