人生で一番大事なのは思い切り→諦めである。

会社員からドロップアウトした物書きが、好きなときに・好きなことを・好きなように書き溜めていくブログです。

猫を火葬しました&手元供養しています

今日で四十九日になりました。

お猫様が亡くなってから火葬までのお話を書いていこうと思います。

亡くなってから当日までのことを具体的に書いていくので、お辛い方はこの記事を閉じてください。

ペット葬について調べたい方の参考になれば幸いです。

2022年11月時点の情報ですが、今後細かなところが変更になる可能性もありますので、具体的なお寺の名前や葬儀屋さんの名前は伏せさせていただきます。

全体的なイメージとしてご覧ください。

前回同様、画像はないです。

 

 

安置:亡くなってから当日まで

お寺や葬儀屋さんの都合で3日ほど間があったため、ドライアイス5kgを11/1朝着(1箱)・11/2朝着(2箱)で合計3箱手配しました。

大柄な子だったので安置した箱も大きかったですし、絶対にきれいな姿で送り出したかったのです。

ドライアイスを入れすぎてたみたいで、手足は凍ってしまいましたが……うちは真南向きで結構室温が上がりやすいので、そのくらいしておいてよかったんじゃないかと思っています。

11/2は気温が上がる予報もあったので、冷房を16℃(最低設定)でかけていました。

自分はフリース上下着込んで低温カイロを2枚内側に仕込んで、それでも寒ければ着る毛布もかぶってました。

一人暮らしで自分以外に送り出せる人はいないので、風邪をひく訳にはいかなかったのです。ご時世的にも、熱を出したらお寺にも葬儀業者さんにも断られてしまったでしょうし。

 

当日:出発まで

最後のドライアイスを追加する前に、おヒゲ1本と耳・手・背中・おなか・しっぽの毛を少しだけもらって、カプセルキーホルダーに詰めて持ち歩けるようにしました。
出かけるときに首から下げていけば、外出時に連れて行けるかなと。

 

当日:移動中

あらかじめ予約しておいたタクシーに乗って、火葬と読経をしていただくお寺へ。

幸運なことに動物好きな運転手さんで、乗車中の半分くらいは話を聞いてくださいました。

こういうときってあまり親しくない方や初対面の方のほうが話しやすいというか、傷つかなくてすむ気がします。

お花などの荷物や安置していた箱の積み下ろしなども進んで手伝ってくださって、そのタクシー会社が好きになりました。

セカオピのときや最後の日に帰ってきたときもその会社だったもので。

 

当日:お寺で

だいぶ早く着いてしまいましたが、お寺の方が控室を一部屋貸してくださり、ゆっくり待てました。

お茶セットなどがなかったのは人間の葬儀とは違うからなのか、お寺の方針なのかはよくわかりませんでした。さすがに聞けない……。

しばらくして到着した葬儀屋さんがいろいろと気配りをしながら進めてくれて、うちのお猫様のことも褒めてくださって慰められました。

 

当日:火葬

今回は火葬車で葬儀屋さんが来てくださっての火葬だったので、呼ばれてから外へ。

ごはんとお花、お手紙は一緒に燃やせると聞いていたので、好きだったものを全部少しずつ紙皿にのせました。

でも想定より多かったらしくて「あんまり多いと……^^;;」みたいな感じで止められたので、ごはんは量を減らして全種類入れました。

ごはんと、自分で用意したお花+手紙、保護してくださっていたボランティアの方からいただいたお花+カード、かかりつけからいただいたお花で取り囲みました。

おもちゃや寝袋も本当は持たせてあげたかったんですが、プラスチックや化繊類はダイオキシンが発生してしまう関係でダメとのことでした。

火葬車じゃなくて葬儀場の炉なら大丈夫な業者さんもあるかもしれないです……ここはご参考までにということで。

 

当日:読経とお別れ

すべて乗せ終わったところで、ご住職の方登場。40歳くらい?の穏やかな感じの方でした。

お経を上げてもらう間合掌。じわじわ泣いてた。

自分も一緒に読経できるプランもあったんですが、絶対にまともに声が出せないと思ったのでご住職のみのプランに。

読経後に少し説法というか励ましのお言葉的なものをお話しいただき、お礼を言ってご住職退場。

炉を閉める前に最後のお礼とお別れを言って、体と顔を撫でました。

葬儀屋さんに

「お体がかなり冷えている状態なので、1時間半位かかると思います」

と言われ、その間は先ほどの部屋で待機することに。

 

ゴミは持ち帰りとのことだったので、お花を包んでいた紙やお猫様を連れてきた箱などをまとめてから再びお寺の中へ。

お寺の方から「お待ちになっている間、よろしければ本堂へお参りください」と言われ、これも何かのご縁かと思い、本堂の仏様にご挨拶しました。

馬頭観音様もいらしたんですが、あの子が生きている間にお参りしておけばよかったなあと後悔。

 

当日:拾骨

だいたい予定通りの時間が経ってから呼ばれ、再び火葬車の前へ。

自分で拾骨するプランにしました。拾骨までお願いするプランもありましたが、自分で収めたほうがけじめがつくかなと思いまして。

炉を開けていただいたとき、お花・手紙・ごはんがきれいに燃えていたのが嬉しかったです。持っていってくれたんだな、って。

 

お骨もかなりしっかり残っていました。

葬儀屋さんも

「この子は骨が丈夫だったんですね。栄養状態がとても良かったんでしょうね」

と言ってくださいました。

その後はどこがどういう骨か、どういう順番で収めていくのかなど説明を受けつつ、合間に「こういう子でした」など話をしながら進めました。

細い骨もあったけれど、拾ったときに折れてしまうようなことはまったくなくて、本当に最後の最後まで手のかからない子だな……とまた涙が出ました。

 

亡くなる3日前までは自力で私の膝に飛び乗ってきてたし、亡くなる当日まで下のことで困らされたこともほぼありませんでした。薬の副作用でお腹を下してしまったのも1回だけで。

私が夜更かしをすれば「早く寝なきゃだめ」とばかりにベッドの上で鳴いて催促をし、体調不良で寝込んでいればそっとずっと添い寝をしてくれて。

私にとって、文字通り病めるときも健やかなるときも、この世で一番寄り添ってくれる存在でした。

 

葬儀業者さんも気を遣ってくださったのか、

「この子は幸せだったと思いますよ」

「私もこういう仕事をしていますとね、いろいろなお客様のところへ行くんですが、なんだかモヤっとする状況のこともありましてね……」

など、たくさん話してくださいました。衝撃的な話でしたが、詳細はさすがにネット上に書くのがはばかられるので伏せます。

 

当日:帰宅&帰宅後

業者さんとお寺の方へお礼を言ってから、お骨とゴミを持ってタクシーで帰宅。

途中でたまたま、行きでは通らなかったイチョウ並木の間を通りまして、青空に黄色い葉が映えてとても美しかったです。

心の中で「綺麗だね、見えてるかい?」って話しかけたりもして。

うちから見える範囲には並木道がないので、あの子に見えていたとしたら、生まれて初めて見る光景だったと思うんです。

この日まであまり食べていませんでしたが、供養の一環としてお刺身をお供えしてから食べようと思い、お骨を家に安置してスーパーへ。

このときから、外出時は前述したカプセルキーホルダーを持ち歩くことにしました。

 

マグロが好きな子だったのでマグロを選ぼうかなと思っていたけど、売り場についたらなんとなくサーモンが目についたので、サーモンを買いました。

サーモンをそのまま食べさせたことはなかったけど、鮭入りの猫缶は好きだったから納得。

お骨の前に供えて、「一緒に食べようね」と話しかけてから食べました。あんまり味はわかりませんでした。

これを書いている時点と比べると、火葬までの間は味覚が鈍くなっていたような気もします。毎日お腹を下していたし、ペットロスがひどい時期だったんでしょうね。

 

それから:

お骨と位牌は家に安置しました。合同墓に収めてもらうこともできるけれど、この先引っ越した後も連れていきたいので。

毎日「おはよう」を言ってからお線香に火をつけ、「おやすみ」を言ってから寝ています。

火葬の前の日から毎日白檀のお線香を焚いています。もしも毛皮を着替えて来てくれたら、においをたどってうちに戻ってきてくれるかなと思って。白檀なのは私の趣味です。

暖房を入れていないときや場所でもたまに足元が温かい気がするけれど、まだいるのかな。

 

余談:

Twitterでぼやいていたんですが、葬儀の前日にかかりつけの動物病院(以下A病院)にお礼をしにいったときの話。

最期の日に対応していただいた別の病院(以下B病院)で

「ひどい低血糖になっています。点滴を打っても30分程度でまた戻るような状態です……。

2・3日食べないくらいではここまで下がらないのですが、最近血液検査はしましたか?」

と指摘されていて、「かかりつけでは一ヶ月くらいしてなかったです」と答えたときに怪訝な顔をされたことや、後日B病院の別の先生(以前セカオピをしていただいたときの先生。腫瘍科ご専門の方)に

「もともとけいれん持ちの子ではなかったし、肺の腫瘍が脳に飛んだのかもしれないですね……」

と電話で言われていたことが気にかかっていて。

ご挨拶をしたかったのと、これを話してどう思うか聞きたかったんです。

 

B病院の先生方に言われたことをA病院の先生に話したら、

「僕も治してあげたかったけど、何をやっても治せない状態だったから」

(↑だから検査はしませんでしたってことですか?

そういう方針なら、あらかじめ言ってくれればその時点でかかりつけを変えられたのに……お金のために黙ってたんですか?)

「僕も大学病院でいろいろ見てきたんで、B病院の先生が『腫瘍が脳に飛んだのかも』と判断された理由が知りたいです」

(↑今その理由を話したんですが、話聞いてましたか?あなたの判断が世界一正しくて他は全部間違いだとでも?その話をしてくれたB病院の先生は腫瘍科ご専門なので、全く筋違いな話でもないはずですが?)

「普段の様子も聞いてなかったし」

(↑毎週の通院で食欲や便の回数、呼吸の様子など報告してましたよ?それ以上の情報が必要かどうかは素人にはわからないんだから、先生から確認してくれないと答えようがないですよね?

あなたが話を聞き流して記憶も記録もしなかっただけでは?毎週カルテを書いているように見えましたが、落書きでもしてたんですか?)

「どうしても助けたいって風に見えなかったんで」

(↑どうでもいい猫に毎週通院と毎日投薬をして、何十万円もかけるとでも?どんどん言い訳がましくなっていきますね)

……と言った感じで、終始「僕は間違っていません、僕は悪くないです」という雰囲気でした。

()内はお恥ずかしながら、そのとき言いたかったけど泣いてて言えなかったことです。

 

治せない状態だったのは仕方がないにしても、こちらの気持ちを読んだつもりになって最悪の結果を導いたも同然なのですから、責任転嫁にしか聞こえませんでした。

私はせめて、あの子に穏やかな最期を迎えさせてあげたいと思っていました。だから、どうしようもない状態であるとか、最期が近いならそう言ってほしかったし、最期に苦しませないための方法も提示してほしかった。

A病院でできないなら、B病院に変えてでも苦しみを減らしてあげたかった。

どうしようもないことがわかっていながら、A病院の先生は「どうせ飼い主には何もわからないから、面倒な検査せずに黙っておこう」と侮っていたわけですよね。

 

この先生、以前「僕がその子の代わりに言ってるんです」とも言っていました。

うちの子の気持ちがわかると言い切るなら、余計に痛みや苦しみを和らげる方法を模索・提示してほしかった。

早く楽になりたい子はいるでしょうけど、「苦しみながら死にたい」なんて思う子がどこにいると言うんでしょう。それともそれをわかっていて無視したとでも言うつもりだったんでしょうか。余計にひどいじゃありませんか。

A病院の先生はうちの子の気持ちも私の気持ちも全くわかっていなかったのに、全て押し付けられて「腹立たしい」以外に言葉が出ません。

 

A病院の先生も腫瘍科の経験があるとホームページに書いてあったので、こちらとしては信頼していました。

だから最後の日のこの言い草は本当に辛かったし、こんな人を信頼していた過去の自分に怒りがわいてやるせない。

時折「ん?」と思うような言いぶりはあったんですが、A病院は自宅から近くて、いざという時に通いやすくて移動時間も短いので通っていました。先生も忙しくて気が立つこともあるだろうし、と思って。

あのときの違和感を信じてもっと慎重になるべきでした。今更悔やんでも意味がないのですが。

 

 

これもTwitterで書きましたが、いずれあの子が着替えてきてくれたと思えるような子に出会えたら、またお迎えするつもりでいます。

でもそのときは絶対にA病院を利用しません。

こんな心無い人は獣医師を辞めてほしいし、それ以上の目にも遭ってくれと呪いたい。

訴えてうまくいったところで、お金で片付けられてしまうのも腹立たしい。

GoogleMapのレビューや動物病院サイトの口コミに書いても高が知れていますし、何もできない。

逆ギレされてこっちが訴えられる可能性もありますしね……B病院の先生が証人になってくださればこっちは負けないかもしれませんが、その確信は持てません。

裁判となると拘束することになりますし、それではB病院や他のペットさんたちに迷惑をかける事になってしまいます。

うまくいったとしても、やはり最終的な解決はお金になるわけで。

 

B病院の先生はおふたりとも親身になってくださいましたし、看護師の方々も診療時間終わり間際だったのに手を尽くしてくださって、とても感謝しています。

ネット上では、B病院のほうが口コミの評価は悪いんですけどね。長くやっていると、絶対数が違うからそうなってしまうのかな。

 

その後、昔B病院に通っていたという知人にこの顛末を話したら、

「B病院は高いとかあれこれ言われてるけど、初代の先生の方針で薬代とか予防接種は安くしてるんだよ。『そのほうが日頃から来てもらえるから』って」

などなど、B病院や近隣の動物病院のことを教えてくれました。A病院はその方の住まいから少し離れているので、A病院のことはご存じなかったようです。

コロナ禍でその知人にもしばらく会っていなかったので、「かかりつけを定める前にこの人に相談していればよかった……」とまた後悔。

 

そんなわけで、病院選びを間違えた自分とA病院の先生の不誠実さに対する怒りと、あの子への申し訳なさを抱えてしばらく生きていくことになりました。

お仕事先への義理と責任があるので、後を追うことはしません。

 

人間だと四十九日で魂が極楽へ行けるかどうか決まるそうですが、猫はどうなんでしょうね。

もしも毛皮を着替えて帰ってきてくれたら、二十年は一緒にいたいな。

そう思って毎日手を合わせています。